少しは落ちついてきたので、せめてblogに書き残しておきます。


先日、2007/12/09に実家(父方)の祖父が死にました。

風呂に入って、なにがあったのかは判りませんが意識を失い、家族が気づいたときには手遅れだったそうです。風呂前にはふつうにばんごはんなど(父にあれ食えこれ食え言われながら)食べていたそうで、まったく突然のことでした。

祖母(これまた父方)のときは長患いの末の往生で、こちらも覚悟はしていましたし、ショックがなかったわけではありませんが「(看病していた家族ともども)ようやく楽になれねぇ」という、正直少し後ろめたい気持ちもありました。

でも今回のことはほんとうにいきなりで……わたし自身の中でも実感がわかず、どう始末をつけていいのか判らない気持ちがもやもやと残っています。いまでも、冬休みに帰省したらあの笑顔に会えそうな気がして、でもそれは決してそうではなくて……。ただただ茫然とした気持ちが宙に浮いたままです。

享年92歳ですから、世間的には大往生と言ってよいのでしょう。でもまだまだ、それはもちろん年相応に衰えてきてはいましたけれども健康で、家族には「これは100までいくねぇ」などと言われていた人でした。それだけに、繰り返しになりますが実感が薄くて、もう会えないということが嘘のようです。キツネに化かされているような心地、とでも言いましょうか。

……だんだん、わたし自身なにが書きたいのか判らなくなってきました(苦笑。たぶん、わたし自身の中でなんとか折り合いをつけたいだけなのだと思います。

「ヒドイやつだ」と言われるかもしれませんが、わたしは、死んだ人間なんてただの「もの」でしかないと思っているような人間です。葬式も法要も、しょせんは生き残り取り残されたものたちのためのものだと思っています。でも、死に顔を見せられても、焼かれて残った骨を拾っても、通夜に出席しても葬式が終わっても、まだわたしの中では「終わっていない」のです。正直、これはもう時間が解決してくれるのを待つしかないのでしょう。逆に言えば、時間さえ経てばこの行き場のない気持ちすら忘れてしまう、ということでもあります。それはきっとどうしようもないことで、でもそう思ってしまうわたし自身がいやでいやでたまらなくて。……いったいどうすればよいのでしょうかねぇ?


最後に。この日記を読んでしまった人、気分を悪くさせてしまったかもしれません。ごめんなさい。そしてもう一つ。もうしわけありませんが、おくやみのコメントなどは控えていただけると助かります。この文章は結局、自分自身のためだけに書いたものなのですので。では日記として公開なんてするな、とも言われそうですが、わたし自身が「けりをつける」ために、なにかの「かたち」として残したかったのです。もう一度、ごめんなさい。


……しかし1年ぶりのエントリーがこれですか(汗。